20年越しの憧れに、答えが出た2025年12月、ZX-10Rが納車された。高校生の頃に雑誌で見て衝撃を受け、約20年前に一度所有したものの、若く、お金にも余裕がなくて手放したバイクだった。いつか、もう一度乗りたい。長く残っていた気持ちをようやく形にできたはずだった。けれど、2026年7月には下取りに出した。約7か月で走った距離は、300kmほど。忙しくて乗れなかったわけではない。乗っても、以前のように楽しくなかった。ZX-10Rが変わったのではなく、20年の間に、自分がバイクへ求めるものが変わっていた。20年越しに、もう一度高校生の頃、雑誌で見た2004年登場の初代ZX-10R、C型。当時の自分には、見た目も性能も衝撃的だった。その後、実際に同じ型を所有したものの、若かった自分には維持する余裕がなく、手放すことになった。それでも「もう一度乗りたい」という気持ちは、ずっとどこかに残っていた。時間とお金に少し余裕ができたことで、その気持ちが再び現実味を帯びてきた。探していたのは、C型の後期モデルにあたるC2。程度の良い逆輸入車が出てきたらと思っていたが、年式を考えれば、もう見つからないかもしれないとも思っていた。近所のレッドバロンに相談すると、条件に合う車両がたまたま見つかった。走行距離は6000km台。レッドバロンで管理され、履歴も分かる車両だった。古い逆輸入車なので、故障や部品の不安はある。それでも、修理を含めて店に相談できるなら、所有するうえでのネガティブな要素はかなり減る。憧れだけではなく、現実的な条件もそろっていた。「本当に、また乗れるんだ」そう思って購入を決めた。戻らなかったキラメキ実際に乗り始めると、最初に感じたのは懐かしさよりも、ポジションのつらさだった。クラッチも重く、つながり方はシビアで荒々しい。少しでも扱いやすくしようと、純正からゲイルスピードのワイヤークラッチホルダーへ交換し、作用点を変えて軽くする方法も試した。ただ、ZX-10Rのクラッチ特性とは、あまり相性がよくなかった。街中を少し走るだけでも、乗る前から少し身構える。足つきにも気を遣い、長い距離を走ればポジションのつらさが残る。そして、目も身体も、以前のようにはスーパースポーツの速さについていかない。本来の性能を楽しむなら、サーキットへ持ち込むのが自然なのだと思う。公道で持て余すパワーを楽しむために、若い頃のような無謀さやリスクを引き受ける気持ちは、もうなかった。20年前のバイクを取り戻せば、あの頃の気持ちも戻ってくると思っていた。けれど、残念ながら、あの時のキラメキは戻らなかった。凄さと楽しさは別だったZX-10Rが、つまらないバイクだったわけではない。ラムエアが効いたときの吸気音と加速には、今でも凄みがある。パワーウェイトレシオが1kg/PSを切る性能も、改めて考えるとすさまじい。トラクションコントロールもABSもない、電子制御へ移り変わる前のバイクでもある。自分の操作が、そのまま車体の動きにつながる。難しさを含めて、操っている感覚と満足感はとても高かった。ZX-10Rは、今乗っても十分に凄い。ただ、凄いことと、今の自分が楽しいことは別だった。使えない性能や機能、馬力は、自分にとっては無いのと同じだった。今の自分が求めているのは、軽くて取り回しがよく、等身大で操れるバイクだ。鼓動やパルスを感じながら、景色を見る余裕のある速度で走る。気難しさがなく、自分の手で触り、直し、状態を整えられる。十代の頃は、お金も知識もなかった。それでも仲間と修理をして、また走り回った。うまくいかないことまで含めて、自分でやるのが楽しかった。今になって思う。あの頃の続きをするというのは、あの頃と同じバイクへ戻ることではなかった。今の自分が触れられるバイクで、もう一度あの楽しさを続けることだった。300kmで出した答え2025年12月に納車され、2026年7月に下取りへ出すまで、走った距離は約300kmだった。距離が伸びなかったこと自体が、答えだったのだと思う。次に選んだSR400の購入に合わせ、ZX-10Rを購入したのと同じレッドバロンへ下取りに出した。他店では査定していない。複数の店を回れば、もっと高い金額がついた可能性はある。下取りだったことで、単純な買取より条件がよかったのかもしれない。ただ、最高値を探すために時間を使い、嫌な交渉や対応で気持ちを消耗するほどの価値は感じなかった。自分にとっては、納得できる条件で区切りをつけ、素早く次へ進めることの方が大切だった。手放すと決めたとき、悲しさはなかった。大型ハイパワーのバイクを所有する優越感も、見栄も、今の自分には何も残さないと分かったからだ。むしろ、少し清々しかった。まとめ|納得と決別20年越しにZX-10Rをもう一度所有したことを、失敗だったとは思っていない。もし乗らなければ、あの頃の憧れは今も残り続けていたと思う。実際にもう一度乗ったからこそ、ZX-10Rの凄さも、自分とのズレも確かめることができた。ZX-10Rからキラメキが消えたのではない。20年の間に、自分がバイクへ求めるものが変わっていた。速さや馬力ではなく、軽さや取り回し、自分の手で触れられる余白。そして、景色を見る余裕のある速度で気持ちよく走れること。自分の好みを、ようやく自分の言葉で理解できた気がする。ZX-10Rは、20年前の自分を否定せず、今の自分が向かいたい場所を教えてくれた。手放したあとに残ったのは、寂しさではなく清々しさだった。20年越しの憧れに、自分で答えを出せた。これは、納得と決別の話だったのだと思う。


