古いバイクに乗っていると、壊れたら直す、という考え方になりがちだと思う。もちろんそれも間違いではないし、実際に古い車両ほど手がかかる場面は増える。
でも、実際に乗っていて感じるのは、壊れてから直すことよりも、普段の整備点検で本来の状態に近づけておくことのほうが、自分にはしっくりくるということだ。
最近それを強く思ったのが、TZR250のバッテリーが弱っていた時だった。信号待ちでライトを点けるとメーターが暗くなって、エンストしそうな気配が出る。走れないわけではない。でも、本来の調子じゃない感じがずっと残っていて、それがかなり気持ち悪かった。
バッテリー交換と充電をすると、まず大きかったのは、変に気を使わなくてよくなったことだった。止まらないように信号待ちや停車時に回転を気にし続ける必要がなくなって、トルク感も戻ってきた。乗りやすさも安心感も、ちゃんと変わったように感じた。
本来の調子じゃない感じが気持ち悪かった
不調というと、完全に動かないとか、明確に壊れるとか、そういう状態を想像しやすい。けれど実際には、その手前にある「なんとなくおかしい」がいちばん気持ち悪いこともある気がする。
TZR250のバッテリーが弱っていた時もそうだった。信号待ちでライトを点けるとメーターが暗くなる。アナログの計器だと、そこが見えにくくなるだけでもかなり致命的に感じる。止まっているあいだも、エンジンがストップしないようにある程度の回転数を意識していないと落ち着かなかった。
それでも一応は走れる。でも、その「走れはする」という状態が逆にやっかいだった。完全に壊れているわけではないから、そのまま乗れてしまう。ただ、乗っている側にはずっと違和感が残る。
本来の状態じゃないまま走るのは、やっぱり気持ちが悪い。景色や音や空気を楽しむ前に、まずバイクの機嫌を気にし続けることになる。そうなると、ただ移動しているだけみたいな感覚に近くなってしまう。
不調を放置すると走り方まで崩れていく
こういう小さな不調は、単に気分が悪いだけでは終わらないと思っている。状態がよくないまま乗ると、どうしてもごまかす運転になりやすいからだ。
たとえば信号待ちでは、エンストしないように少し回転を意識する。停車のたびに余計な気を使う。本来なら自然にやっている操作が、少しずつ不自然になる。
それが一回で大きな故障につながるわけではないかもしれない。でも、そういう無理やごまかしが積み重なると、別のところにも負荷がかかっていく気がする。本来なら素直に乗れるはずの状態から、少しずつズレていく感じだ。
古いバイクは、もともと少し気難しいところが味になることもある。特に乾式クラッチのようなクセは、それも含めて魅力だと思う。でも、その「少しのクセ」と「調子の悪さ」は別の話として感じている。
味としての気難しさは楽しい。けれど、不調がいくつか重なって出てくる嫌なフィーリングは、やっぱり違う。小さな違和感でも積み重なると、乗りやすさを少しずつ削っていく気がする。
バッテリー交換で安心感が戻った
バッテリーを交換して充電をしたあと、まず感じたのは安心感だった。信号待ちや停車時に、エンストしないよう余計に気を張る必要がなくなった。
それだけでもかなり大きい。古いバイクは、ただでさえ乗る時に意識することが少なくない。そこに電装まわりの不安まで乗ってくると、気持ちよく走るどころではなくなる気がする。
状態が戻ると、そういう余計な注意がひとつ減る。そのぶん、バイクそのものの感触に意識を向けられるようになる。しかも今回は、それだけではなく、トルク感も戻ってきて乗りやすくなった。
たかがバッテリーと言ってしまえばそれまでかもしれない。でも実際には、こういうひとつの部分が整うだけで、乗り味や安心感まで変わることがある。古いバイクでは特に、それがはっきり出やすい気がしている。
乗る側の調整も必要になる
古いバイクとの付き合い方を考えるとき、ただ機械として維持するだけでは足りない感じがある。もちろん、走れるように整備点検しておくことは前提だ。でも、それだけですべてが決まるわけでもない。
気温や湿度、その日の陽気によって、エンジンの感じ方も変わる。昨日は気持ちよく回っていたのに、今日は少し違う、みたいなことも普通にある。そういう変化に対して、ライダー側も少し合わせていく感覚が必要になる気がする。
それは面倒といえば面倒だと思う。でも、その機械まかせでは終わらない感じが、古いバイクの面白さでもあるように感じている。
整備点検して終わりではなく、その日の空気に合わせてこちらも少し調整する。ただ維持するだけではなく、乗る側も含めて成り立つ乗り物なんだと思っている。
本来の状態で走れた時の気持ちよさ
古いバイクは、やっぱり手がかかる。新しいバイクのように、常に同じような安心感で乗れるわけではない。だからこそ、調子が少し崩れた時にその差もわかりやすい。
でも逆に言えば、本来の状態で走れた時の気持ちよさもちゃんと返ってくる。不調をごまかしながら乗るのではなく、普段から少し整備点検して、本来の状態に近いまま走れるようにしておく。そのほうが、結果的には安心して長く付き合える気がしている。
古いバイクは、ただ壊れたら直せばいい、というものではないのかもしれない。走れるように維持しながら、その日の気温や湿度にも少し合わせていく。機械の状態だけでなく、乗る側の感覚も含めて付き合っていく。
手がかかるけど、そのぶん本来の状態で走れた時の気持ちよさがある。だから今は、壊れてから直すより、本来の状態で走れるように整備点検しておきたいと思っている。
まとめ
古いバイクは、完全に壊れてから直すだけではなく、普段の整備点検で本来の状態に近づけておくことが大事だと感じている。今回のTZR250も、バッテリーが弱っていたことで走れないわけではなかったけれど、本来の調子ではない感じがずっと残っていた。
そういう小さな不調は、乗り手の意識や操作にも少しずつ影響してくる。ごまかす運転が増えると、走りそのものの気持ちよさも薄れてしまう。
整備点検で状態が戻ると、変に気を使わなくてよくなる。安心感が増して、バイク本来の感触にも意識を向けやすくなる。古いバイクは手がかかるけれど、そのぶん本来の状態で走れた時の気持ちよさも大きい。
だから今は、壊れてから直すより、気持ちよく走るために普段から整備点検しておくほうが、自分には合っている気がしている。

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